前々回・前回で今福までの区間を紹介しました。今回は最後に、公式HPなどではあまり紹介されない、今福より三段峡・広島方の遺構を紹介したいと思います。

今福線の夢は壮大なもので、三段峡までの高規格新線を引き、更に可部線区間も高規格新線を引いて特急を走らせれば最速55分で広島と浜田を結べるという計画があったそうです。採算性はさておき、趣味的にはとてもロマンのある話ですね。

浜田自動車道の客をあらかた取り込めればそれなりの採算性はあったのかもしれませんが、少なくとも国鉄再建法に則って建設が凍結されたということは、残念ながら当時の基準でも4,000人/日は下回る予測だったということです。

1974年に三段峡~浜田間が全線着工認可された今福線(新線)ですが、他の建設線もある中で建設予算はわずかだったようで、実際に構造物が建設されたのは浜田駅付近で数10メートルほどの高佐高架橋、前回紹介した下長屋トンネル前後の区間、そして今回紹介する丸原地区の高架橋・トンネル群になります。

ここは、浜田市旭町丸原地区。島根県道5号線から脇道に入り、Google Mapによれば、丸原薬師堂や、丸原天満宮の近くにあるところにやってきました。

いきなり、何もない小高い山にトンネルの口が開いています。
CIMG0232
ここからが、今福線の中で路盤・トンネル・橋梁の構造物が完成している南端の区間になります。
このトンネルは丸原トンネル。奥側が三段峡・広島方。手前側が今福・浜田方面。

(※余談ですが、自動車でここに来られる際は丸原天満宮あたりの邪魔にならない場所に車を停車させることをお勧めします。転回が困難です。)

その先には橋梁があります。
CIMG0229
丸原トンネルは写真右側の小高い山を貫いています。先ほどの坑口は写真右の更に右にあります。

その先、三段峡方には2つの橋梁。訪問時には周辺の草木が伐採されており、容易に確認することができました。調べてみると、丸原トンネルから続いてくる右が白角橋梁、左が寺廻り橋梁とのこと。

県道5号線から脇道にそれ、高架橋に近づいてみます。
CIMG0414
寺廻り橋梁。今にも列車が走りそう。

ここで、近所の方と遭遇したのでお話を伺ったところ、なんと遺構への生き方をご存じだということに。連れて行ってもらいました

先ほどの脇道から未舗装の獣道へ。工事当時の取り付け道だったのでしょうか、中型トラックぐらいが通れそうな道を抜けると…
CIMG0415
いきなり目の前に現れたのはこの区間のもう一つのトンネルである御神本トンネル。半分薮の中に消え去りそうな状況。写真奥側が三段峡方。
CIMG0427
反対側を振り返ると、先ほどの寺廻り橋梁があります。写真奥側が浜田方。

CIMG0428
寺廻り橋梁からの、幻の車窓。高架線とトンネルがほとんどだったであろう今福新線は、開通していればトンネル区間の合間に高所からの眺めが期待できたものと思われます。

この先、寺廻り橋梁と白角橋梁の間の築堤は木々が生い茂っており、進めませんでした。
振り返って御神本トンネルへ。
CIMG0417
写真奥が三段峡方。内部は非常に綺麗です。緩やかにカーブしていますが、在来線の速度では速度制限なく曲がれるくらいのカーブです。
CIMG0418
トンネル内にはこのような埋設物が。キロ程と思われる記載があります。距離は三段峡起点でしょうか。メートル以下の数字まで記されており、ルートは全線に渡って詳細に決定済だったということですね。E.C.C.という略号は、さらっと調べた辺りカーブの始点や終端の位置を示す?ような指標のようです。

三段峡方の坑口には銘板があります。
CIMG0420
その先にはもう1本の橋梁。
CIMG0422
御神本橋梁です。こちらは先ほどの御神本トンネル(奥が今福・浜田側)。
CIMG0421
こちらは三段峡・広島方。この先はまた小高い山がありますが、御神本橋梁が突き刺さった形で終わっています。トンネルが接続される予定だったのでしょうが、ここから工事は一切なされていません。ここが、ぶつ切りになりながら広島を目指した今福線の最終端。夢はここで終わってしまいました。

ここより先の区間では、境界杭の打ち込みやトンネルの試掘こそ行われた箇所がありますが、線路が引ける状態になっていた箇所はありません。もしこの路線が走っていたら、どのような旅ができただろうかと思いを馳せながら、この場を後にしました。


今回ご紹介した場所はおおむね下図のようになります。
3

また他の路線を調査しましたら、また紹介したいと思います。
今回もご覧いただきましてありがとうございました。


▼各種ブログランキングに参加しています!ワンクリックいただけますと励みになります!!▼

鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村