こんにちは。

分けて行ってきた標津線廃線巡りも今回で最後。今回は奥行臼駅をご紹介します。

奥行臼駅
厚床支線の、根室本線厚床駅から1駅目の駅でした。
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ほぼ現役の姿のまま保存されている駅です。
P1000267待合室の中も開放されています。
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写真の右上付近は駅の窓口。かつては切符を買い求める乗客で賑わったのかもしれない。
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ガラス越しですが、窓口の中。机は実際に使われていたものと思われます。いい味出してる。
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待合室からホーム側へ出てみました。
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島式ホームへ上がるためにエスコートしてくれる階段。構内踏切なんて洒落たものはありません。線路をまたいでホームへ上がります。
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こちらは厚床方面
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こちらは中標津方面。

一度目を閉じて再び目を開いたら、キハ22形やキハ40形が向こうから走ってくる、そんな気持ちにさせてくれます。
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右奥の線路は貨物側線で、保存にあたり、復元したそうです。
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駅舎の隣の建物はたぶん詰所です。
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駅舎側の線路に面した貨物ホーム上には、職員用風呂があります。これは現役当時、中標津方に3駅先の春別駅にあったものを移設したそうです。

奥行臼駅は他にも鉄道史跡が残っています。奥行臼駅から100メートルほど歩いたところにあるのがこちら。
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別海村営軌道風連線奥行臼停留所。北海道で多く敷設された殖民軌道のひとつで、奥行臼駅から西側の別海村(当時)上風連地区までを結んでいたそうです。
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こちらは展示車両の紹介銘板。
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旅客用のディーゼルカー。「自走客車」と紹介されています。ところどころ塗装ははがれていますが、比較的綺麗です。
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ただ、正面から撮るとなんか歪んでるんですよね。気のせいじゃないんです。本当に傾いてます。
P1000311こちらは機関車と貨車。機関車は「内燃機関車」と紹介されてますが、要するにディーゼル機関車ですよね。後ろの貨車は生活物資のほか、地元産品である牛乳なんかも運んでいたそう。さすが北海道。貨車は奥行臼駅で国鉄の貨車に載せ替えられて遥か遠くまで運ばれていったんでしょう。

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近くには転車台?の跡も保存されています。
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貨車の奥には線路敷だったと思しき轍が続いていました。

続いて、車両の横にあった建物に入ってみます。
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村営軌道に関する資料が保存されていました。こちらはジオラマ。踏切なんかもあったんですね。
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営業当時の写真もパネル展示されています。

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最後に旧奥行臼駅逓へ。こちらは駅逓とありますが鉄道とは関係なく、かつて幕末から昭和初期頃まで、宿泊や荷物・郵便の役割を担った、いわば中継点のような場所だったようです。

中に入ってみましたが、旅館のような和室が並んでいました。史跡として保存されていますが、もし宿泊できるなら泊まってみたいようなところでした。

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この後は、根室本線厚岸駅へ。
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1番線には、標津線が接続していたことを示す展示物が設置されています。
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かつて2000年の夏の青春18きっぷの販促ポスターに採用されたアングルで撮影してみました。当時のポスターのキャッチフレーズは、「『早く着くこと』よりも大切にしたいことがある人に」。世の中の流れが加速度的に速くなっているように感じる現代においては、心に刺さるキャッチフレーズかもしれません。
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到着して程なくして、根室行きが到着しました。標津線はなくなってしまいましたが、日本の最東端を走る根室本線(花咲線区間)は、いつまでも乗りたいときに乗れる路線であってほしいものです。

3回に分けてご紹介した、標津線廃線巡りもこれで終わりになります。最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


その1、その2はこちらから→(その1その2


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